九井諒子の描く異世界と現実世界の融合

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九井諒子氏が「ダンジョン飯」で世間に知られて始めている。

いや、もともと、独特の感性を持つ短編作家として、知る人ぞ知る……という存在ではあったのだけれども。

商業誌に活躍の場を移し始めたのは、2011年頃のことであり、それ以前は、pixivや同人誌で作品を発表していたようだ。

竜の学校は山の上」「九井諒子作品集」の後、2013年に「ひきだしにテラリウム」で第17回文化庁メディア芸術祭マンガ部門の優秀賞を受賞しており、その頃には、短編漫画家としては充分に知られた存在になっていたと言ってよい。

「ひきだしにテラリウム」で現れる多彩なアイデア

ひきだしにテラリウム

ひきだしにテラリウム」は、その1冊の中に33篇もの短編が収録されており、その着想は、自分の未来の恋人が写るカメラ、自分がショートショートの主人公であると気付いた少女……など、多彩だ。

そのアイデアであれば、もっと、話を広げられるのでは?という読者の疑問を置き去りに贅沢にアイデアを消費していく様は、圧巻。

比較的、軽く読める短編が多いので、寝転がりながら、ちょっと読む……といった感じの読み方ができてしまうわけだが、これだけのアイデアをこんなに軽く消費してしまってよいのだろうか?と少しもったいない感じもする。ただ、この軽さは……良い意味でのお手軽感だ。

九井諒子の本質とは?

しかし、九井諒子は多彩なアイデアだけが売り……というわけでもない。

その本質は、ファンタジーと現実の融合だ。長編デビュー作にして、ヒット中の「ダンジョン飯」では、ダンジョンを冒険する冒険者たちの食事事情という「現実」に着目し、ダンジョンの中のモンスターを調理する……という見事な発想を見せているが、こういうのは、地に足のついたファンタジー描写とでも言えばよいのだろうか。

竜の学校は山の上 九井諒子作品集

この作風は、過去の短編にも現れており、「竜の学校は山の上」の収録作に顕著だと思う。

人間とケンタウロスが共存する社会を描いた「現代神話」では、ケンタウロスも普通に会社勤めしているし、「進学天使」では、空を飛ぶ翼を持っている女の子の進学の悩みがテーマだ。

この短編集の表題にもなっている「竜の学校は山の上」では、竜を研究する大学が舞台となるが、竜を社会のためにどう役立てるのか……ということで悩む学生たちは、現実世界の理工系の学部の学生たちの姿にも重なる。

竜が出てきても、その世界観は、現実世界に近いのだ。

「現代神話」「進学天使」「竜の学校は山の上」が、現実世界に異世界の何かを放り込んで、融合させて見せた作品だとすると、一方で、ファンタジーの世界に「現実的な事情」を放り込んで見せたのが、「帰郷」、「魔王」、「魔王城問題」だろうか。

どれも、RPGゲーム的な世界観の異世界が舞台となっているが、魔王を倒した後の勇者、魔王に捕われたお姫様と魔王の生活、魔王が倒された後の魔王城の使い道、等々、ファンタジーな世界観ではあまり語られなかった物語を語る。

魔王と捕われたお姫様の生活……については、ディズニーでアニメ化された「美女と野獣」のような先例も無くはないが、九井諒子の描く物語は、もっと現実的で、語弊を恐れずに言うと、もっとシビアな世界だ。

九井諒子世界の食事事情

そして、その短編の中には、ファンタジー世界の生物を食べるというプレ「ダンジョン飯」とでも言うべき作品もある。

前述した「竜の学校は山の上」には、竜の部位を切り分けて調理するシーンがあるし、「ひきだしにテラリウム」にも「龍の逆鱗」という作品が収録されており、これは、竜を丸ごと捌いて食べてしまう話だ。

「龍の逆鱗」では、竜を調理していく過程で主人公が「なんだか神社みたいな匂いがする」と呟くのに対して、「そりゃ、生姜が入ってるから」「いや、ジンジャーじゃなくて……」というやり取りも、くすりと笑える。調理の過程が具体的で……作者は、たぶん、料理好きなのかもしれない。

長編デビュー作「ダンジョン飯」

ダンジョン飯 1巻 (ビームコミックス)

そんな九井諒子の長編デビュー作が、異世界でのサバイバル料理をテーマにした「ダンジョン飯」であったのは、強みが存分に発揮されるであろうという点ではベストな選択だったと思う。

”大サソリ”や”歩き茸”の調理については、なんとなく、想像できる部分もあるが、”動く鎧”や”ゴーレム”、”ミミック”など、調理方法の想像も使いないようなモンスターたちを、文字通り、うまく調理して、ひとつの作品に仕上げているのは、秀逸という他ない。

まとめ

正直、もっと九井の短編を楽しんでいたかったという気持ちはあるけれども、「ダンジョン飯」も面白い作品だ。それに、隠れていた優れた漫画家が、一般に知られ、正しく評価されるのは歓迎されるべきことだと思う。

「ダンジョン飯」を楽しみつつ、作者の新しい短編が出るのを待ちたい。