引用『自ら学習するコンピュータの素晴らしくも物恐ろしい可能性 – TED.com』
「ジェフリー・ヒントン率いる トロント大のチームが 薬を発見する競技に 優勝した時です これがすごいのは 医薬大手のメルク社や この分野の専門家チームの 開発したアルゴリズムを破った彼らのチームに 化学や生物学やライフサイエンスを ちゃんと学んだ経験のある人が誰もいなかったことで しかも たった2週間で やってのけたのです どうして可能だったのか?ディープ・ラーニングと呼ばれる アルゴリズムを使ったのです」
新薬発見コンテストにおける優勝者が、その道の専門家チームではなく、人工知能だったという話。
AIの進歩は、どうやら想像を絶するスピードで進んでいるようだ。
コンピュータ将棋とプロ棋士の現在
ボードゲームの世界では、オセロ→チェス→将棋、という順で、コンピューターがトッププロに勝利し、今では、将棋において、プロ棋士をもってしても、コンピューターに勝つことが難しくなってきている。
将棋のプロ棋士といえば、全国優勝するような天才少年たちが養成機関に入り、それでも毎年四名しかなれない狭き門であるし、そんな天才たちをもってしても、コンピューターに勝つことが難しいのか!という驚かざるを得ない。
二十年くらい前の話、当時は、コンピューターがチェスでカスパロフに初めて勝った頃だったと思うが、チェスよりも更に複雑な将棋においては、コンピューターが人間に勝つなど絵空事と思われていたように記憶している。つまりは、人間の脳が如何に優れているか!人間には無限の可能性があるのだ!という論調であったように思う。(そんな時代に、「2015年頃には、コンピューターがプロ棋士に勝つ」と予測していた羽生善治名人の凄さは、本筋から離れるので、詳しくは述べない)
コンピュータが将棋のプロ棋士に勝利できるようになった今、将棋に取り組んでいた天才プログラマたちが、次は囲碁の番だ!とばかりに、コンピュータ囲碁への参加を宣言しており、次は、囲碁が盛り上がっていきそうな気配もある。
将棋においても、囲碁においても、人間が魅せる勝負というものの価値は変わらず、興行としては残り続けていくであろうが、将棋や囲碁を学習するための道筋は変わっていこうとしている気がする。これもコンピュータが起こした変化だ。
技術的な進歩が専門職業家に与える影響
技術的な進歩は、生活を便利にする一方で、その道のプロが持つノウハウやスキルを無効化してきた。
例えば、カーナビ出現前のタクシーの運転手にとって、周囲のライバルたちから抜きんでるために重要だったのは、『その周辺の道に詳しいか否か』であったが、カーナビが普及するにつれて、道に詳しいかどうかよりも、接客態度や付帯的なサービスが差別化要因となった。
このタクシー運転手に見られたような大きな価値観の転換が、人工知能の進化によって、あらゆる場面で現れるのではないか、という気がする。
……冒頭の動画に戻ろう。
自分の能力を超えるような人工知能を開発することができたその習慣に、信じられないほど急速に人工知能が進化するという話もあり、つまり、自分自身の9割ほどの能力の知能を作っているうちは、0.9は何回積算しても、1.0を超えることはなく、ゼロに収束していくが、自分の能力を超える知能を作ることができたら、(例えば、105%の能力を持つ人工知能の開発に成功したら)その人工知能が更に自身を超える人工知能を開発し……ということを繰り返していくうちに、人類の能力をはるかに超えるコンピュータが出現することになるのである。
繰り返し | 式 | 結果 |
---|---|---|
1回 | 1.05^1 | 1.05 |
10回 | 1.05^10 | 1.629 |
30回 | 1.05^30 | 4.322 |
50回 | 1.05^50 | 11.47 |
100回 | 1.05^100 | 130.5 |
300回 | 1.05^300 | 2273996.1 |
芸術の分野はどうか
人間的な感性が必要となるデザインや芸術の分野ではどうだろう?実は、この領域においても、人間のノウハウやスキルは、安泰とは言えない。
デザインについては、見る人にどのような印象を与えたいかをインプットすると、その目的を満たすデザイン例がアウトプットされる仕組みがあるし、芸術の分野においても、好みの音楽を伝えておくと、その人が好みそうな音楽を流してくれるというサービスまで出現している。
これは、ヒトの好みや感覚といったファジーに見える部分についても、アルゴリズムで解析可能であるという一例であり、デザインや作曲をする人工知能の出現もかなり現実味のある話なのではないか、と思うのだ。
……将棋プログラムの世界で様々な話題を振りまいていた『やねおら王』のやねうらお氏が「作曲プログラムを作る!」と宣言していたことがあったが、ここまで書いていて、ああ、そういうことなのか、と気がついた。「やねうら王」も、人類を超えるアルゴリズムを作るという彼の取り組みのひとつなのかもしれない。
さいごに
コンピュータがひらめく時代になった時に僕ら人類はどのように暮らしているのだろうか。
「バイナリ畑でつかまえて」から引用して終わりたい。
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