劇薬のような『ど根性ガエルの娘』~大月悠佑子の人生を取り戻すための挑戦

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ど根性ガエルの娘 1 (ヤングアニマルコミックス)

ど根性ガエルの娘』は、吉沢やすみの娘である大月悠佑子の作品で、父の様々の行為から家族が崩壊していく様子と、それが再生していく様子を描いた感動エッセイとして売り出されていた。

家族の崩壊と再生の物語(?)

1話の冒頭で語られた「父が娘夫婦の家を訪問し、カレーを作るエピソード」は、なんとも微笑ましく、再生された家族の姿を表現していた。この後、語られるであろう物語は、最終的には、このカレー作りのシーンに着地するわけだから、紆余曲折があるにしろ、最後はハッピーエンドで終わるという安心感を読者に与えてくれるものだった。

2話以降、家族崩壊の真相が明らかになってくると、かなりキツい描写もあるのだが、最後のハッピーエンドが約束されているが故の安心感はあった。度々、現在の家族の幸せな姿が描かれており、ここに着地するまでを描くのが規定路線だと思っていた。

衝撃的な15話

しかし、15話が発表されたことで、この土台が崩壊した。

15話で描かれたのは、1話のカレーのエピソードの真相であり、それは決して心温まるとは言えないものであった。

作者がこれを書いた意図は、どこにあるのだろう?と想像すると、愛憎入り混じるその感情に言葉を失う。1話と同じ構図のカレーの話を娘の心情描写を交えて描くことで、平和に見えていた日常のどろっとした裏側がさらけ出されたその衝撃が凄まじい。

客観敵には平和に見えていた日常の1シーンが、娘の視点を通すと、かなり緊張感のある場面であったという立体構造だ。

ここで、これをぶち込まれたことにより、既定路線が否定されたわけで、着地点が見えなくなった不安定感に眩暈がする。

視点の違いを味わうための併読書

平和な日常に見えても、視点を変えるとドロドロとした内幕が見えてくる、という衝撃体験は、『ど根性ガエルの娘』だけではなく、ここに息子の視点である『ペンと箸』の吉沢やすみエピソード、父の視点である『パパとゆっちゃん』を加えると、更に深みが増す。

複数のエッセイ漫画を併読する事で見えてくる家族の様相は、更に凄まじい。

視点の違いの恐ろしさを……これでもか!というくらい感じることができる。

「玄関先の壁の穴」

パパとゆっちゃん』では、壁の穴は、娘のゆっちゃんの宝物の隠し場所になっていて、むしろ微笑ましいエピソードとして描かれているのだが、『ど根性ガエルの娘』では、家庭崩壊の象徴のような扱われ方になっている。

父の視点で見ると、微笑ましいエピソードのようだが……

パパとゆっちゃん』より

娘の視点では、家庭崩壊の象徴として描かれる。

ど根性ガエルの娘』より

「家族の思い出の食事」

息子が父との思い出として語った焼き肉の話が『ペンと箸』で描かれているが、ここでは、あくまで「良き家庭の象徴」としての食事のエピソードだ。

しかし、『ど根性ガエルの娘』においては、娘に土下座させながら、父と母と息子で楽しく焼き肉を食べる、という強烈なシーンとして、描かれている。父を恐れるあまり、息子は姉を犠牲に、母は娘を生贄に捧げ、表面上の平和を維持するという、なんとも言えない気持ちになるエピソードだ。

弟にとっては、良い思い出の「焼肉」のエピソード……

ペンと箸』より

姉の視点で見ると、焼肉はトラウマ以外の何者でもなさそう……。

ど根性ガエルの娘』より

「孫との交流」

『ペンと箸』で描かれた吉沢やすみ氏と孫の心温まる交流については、両視点で大きな差異はないのだが、先の焼肉のシーンを見てしまうと、その裏の心情などを想像してしまい、素直に読めなくなってしまう。

孫との交流の部分については、同じような描かれ方をしている。

ペンと箸ど根性ガエルの娘』より

劇薬のようなエッセイ漫画

そうしているうちに、『ど根性ガエルの娘』の16話が発表された。ああ、ここに着地するのか……という妙な納得感があった。このエッセイ漫画は、大月悠佑子の人生を取り戻すための挑戦だったのだ。『ど根性ガエルの娘』を、マンガという枠の中だけで語ることはできない。ここで語られる物語は、純文学のようにドロドロしていて、心を穿つ。

読むならば、ページを開く前に覚悟しておくべし!劇薬のような作品だ。