日本が誇るカイゼンのボトムアップならではの限界について

この記事の所要時間は約 4 分 です。

『カイゼンが製造業のIT化を遅らせてきたのかもしれない』という記事を読んだ。控えめに言っても、これは良記事だろう。

読んで思ったこと

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カイゼンの手法は現場の問題意識により成立しているものであり、現場であるからこそ、視点はボトムアップになりがち。カイゼンされた結果としての「業務」は、元記事で例えられているような「ハウルの動く城」のようなものに成る。すなわち、神業のようなバランスの元に成り立つ効率と品質だ。

カイゼンされた結果は、概して、その企業独自のものであることが多く、パッケージ導入などをした場合には、業務とパッケージのGAPとなり、カイゼンされたプロセスを残そうとすると、カスタマイズ開発が必要となり、結果、コストが嵩む。

元記事では、製造業を例にしており、このコストが効果に見合わないため、IT化が遅れるというのが、主張であるが、実際のところ、これは別に製造業に限った話ではない。

金があればカスタマイズして作り込むことになるわけだが、その後のシステムのメンテナンス費用も含めた費用対効果の判断をすることは、なかなかに難しく、更には、現場でカイゼンされた業務プロセスを活かすために、全体のバランスを欠いたシステムになってしまうのは、アンチパターンとしては、よく目にする例だ。

ここまで述べて、日本が誇るカイゼン文化が、結果として、ITによる効率的な業務の実現を損ねているとしたら、本当に残念な事だと思うわけだが、一方で、全ての企業がパッケージ導入を進めると、それはそれで、業務が会社の枠を超えて、画一化されたものになってしまい、差別化された部分がなくなってしまう。

今、競争力を持っている企業は、パッケージ導入することで、業務が標準化され、折角、カイゼンを積み重ねてきた業務プロセスの良い部分を捨てることになる。結果、競争力を失う……ということは、想像できる。

この問題への解

この問題への解は、単純だ。

第一に、パッケージ導入を伴うようなシステム更改を現場主導で進めることはナンセンスであると知ることだ。

業務のカイゼンに誇りを持つ現場に主導させると、結果、カイゼンされたプロセスを重視するあまり、先に述べたような複雑怪奇なシステムができあがってしまうリスクがある。

システムの更改は、あくまで、トップダウンであるべきなのだ。

もっとも、これは、現場を巻き込む必要性を否定するものではない。現場の意見を収集することは大事なことであるが、あくまで、主導権はトップが持っているべき……という話だ。

第二に、カイゼンされたプロセスを新システム導入後の業務プロセスの中に残すか否かは、その企業の競争力にどれだけ寄与しているかという点で判断するべき、という話だ。同業他社に比べて、優位に立つために必要なプロセスなのであれば、新システムとの適合させる形で、積極的にカスタマイズするべきであろう。

最後に、こうしたプロジェクトを進めるメンバーには、目標を見失わず、論理的にモノが考えられる優秀な人材を確保した上で臨むべきだ。そして、そのメンバーには、必要な権限を与えなくてはならない。業務プロセスの刷新は、ともすれば、その業務に携わっている担当者からの妨害を受ける可能性もないとは言えない。そのような状況下において、自信を持って「NO」と言えるだけの胆力を持った要員をアサインし、「NO」という権限を与えておく必要がある。

まとめ

業務プロセスのカイゼン箇所については、その企業の競争力に寄与している度合いの視点での取捨選択が必要。これは、現場の柵に囚われると失敗する。

トップダウンでなければできない判断なので、そういう体制を組むべき。

更に、極論を言うと、カイゼンされた結果できあがった優れた業務プロセスであっても、差別化に繋がりにくい業務は、さっさとパッケージ導入して標準化された業務に置き換えてしまうのが良い。コストメリットの観点で。

蛇足的な愚痴

システム更改を現場任せにする無責任なトップのなんと多いことか

システム更改にあたっては、それまでのプロセスに誇りを持って取り組んできた人ほど、プロジェクトの阻害要因となる切なさ

本来、きっちりと考えた上でカイゼンしていれば、ここで述べているような話は起きないはずであり、局所的なカイゼンが幅を利かせているということなのかもしれない。(自己満足とまで言うと言い過ぎかもしれないが、それに近い感覚を覚える)

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