『或るアホウの一生』は、トウテムポール氏による将棋漫画だ。
ちなみに、将棋の監修は橋本崇載八段が担当している。
物語は、三段リーグから始まる。
プロ棋士養成機関である奨励会において、プロの一歩手前まで辿り着いた奨励会員たちの最終関門が三段リーグであり、三段から四段(プロは四段から)に昇段するには、三段同士のリーグ戦を半年間戦い、1位か2位の成績をおさめなければならないのが基本だ。つまり、年に4人しかプロになれないという過酷な世界だ。
その過酷さを増しているのは、奨励会の年齢制限であり、規定の年齢に達するまでに四段になれなかった者は、退会させられることになる。
この過酷な世界を四苦八苦する奨励会員たちの突飛な行動がギャグになっている一方で、それが面白さだけではなく、心を打つような感動を呼ぶという点で、とにかく、稀有な作品だと思う。
主人公と3人の仲間
『或るアホウの一生』のストーリーは、主人公の高以良瞬と3人の仲間たちを中心に進んでいく。
登場人物 | 年齢 | 成績 |
---|---|---|
高以良 瞬 | 17歳 | 4勝14敗(最下位) |
夏目 颯一郎 | 17歳 | 9勝9敗 |
牧野 司郎 | 23歳 | 11勝7敗 |
迫 右羽介 | 23歳 | 12勝6敗 |
最下位だった高以良も余裕がないが、迫や牧野も、成績は良いものの6歳も年長であるが故に余裕がない。前述した年齢制限が迫っているからだ。
迫の「いやー若いヤツが負けてんの見ると楽しいねえ」というセリフや、牧野が絡むその後のエピソードについても、その年齢制限という事情を知った上で読むと理解し易い。
4人はいつも一緒に行動しているわけだが、三段リーグでは、半期に2人しかプロ棋士になることはできず、つまり、仲間4人が全員昇段することはできないわけで、そのあたりの事情が、この4人の仲間のようでいて、完全には気を許せない……という微妙な関係を生んでいる。
奨励会の厳しさを知らない人との付き合い
大きく負け越して、余裕のない高以良と、この三段リーグの厳しさが分かっていない近所のおばさんとのギャップのあるやり取りも、そのギャップの激しさ故に、面白い。
「瞬ちゃん、プロ棋士なんだってね、碁の」
「いや、違います。将棋です。てか、プロじゃないです。プロ棋士の専門養成機関の奨励会であって……」
「わかった!じゃあ、いずれプロになるのね」『或るアホウの一生』第1巻
前述した通り、三段リーグに辿り着いても、なお、そこを抜けて、四段になるのは狭き門だ。主人公の高以良は、それ以上、説明することを諦め、その場を立ち去る。
高校の同級生は、それでも高以良が置かれている状況の厳しさを理解しているようだが、その会話の中での高以良の「なんかもう、強くなる魔法とかないかな。悪魔と取引してでもいいから。」という台詞がとにかく切実だ。
プロ棋士の師匠は、かくあるべき!
夏目颯一郎は、主人公の高以良とは同じ師匠を持つ同門なのだが、この師匠が良い味を出している。
三段リーグの結果を報告しにきた高以良と夏目に対する「何も負けたこと、報告に来なくても、よかったのに」という第一声のインパクト。
「オレは強くなりたいんです。プロになりたいからですよ!」と強く訴える高以良への「誰も君たちがプロになることなんか望んでないのに?」という酷すぎて読者の笑いを誘うような突き放し方。
”なんて弟子のことを軽視する師匠なのだろう!”と読者を笑わせた上で、高以良の「寝ないでも勉強します!」という発言を受けて、「それは不正解」と窘めるところで、しっかり、師匠しているのが、はっとさせられる。
将棋を指そうと志す者が
若いうちから脳にダメージを与えるような行動をとるべきじゃないよ。一生の仕事になるんだからね。
『或るアホウの一生』第1巻
この「一生の仕事」という示唆が、三段リーグの目先のことにとらわれている高以良の視野を変えさせる一言にもなっていて、この師匠は、実は、かなり良い師匠なんじゃないか、とも思った。
どうすれば良いかの具体的な方法については、教えてくれないものの、ダメなことは「それは不正解」と、はっきりとダメだと言ってくれる。
結果として、主人公たちは、しっかりと悩み、自分たちなりの試行錯誤を始めたわけで、こういう方法で弟子たちを導いているのではないか……と、読み返してみて、少し印象が変わった。
有名な魚釣りの例えを出すと、飢えている人に対して、「魚を渡す」のでも「魚釣りの方法を教える」のでもなく、「魚釣りの仕方を工夫しなさい」と諭すようなイメージかもしれない。このように諭された弟子は、「魚釣りの仕方を教えられる人材」になるのではないか。そして、プロ棋士というのは、魚釣りの仕方を教える側の人間だろう。
この師匠は、プロ棋士を育てているのである。
もっとも、その試行錯誤の結果としての行動が、あまりに突飛なものだったので、そこがギャグとなるわけだけれども。
心を動かされずにはいられない高以良の独白
はじめは、この高以良の突飛な行動(具体的なところは本作を読んで欲しい)を笑っていた迫も「一番なりふり、かまってられないのは、年寄りのはずだよな」とそれを認めるように呟く。
主人公の高以良の行動は、確かに突拍子もないものだが、兎にも角にも将棋には必死に向き合っているから、それが心に響いたのではないか、と読めた。
なりふり構わなくなった結果、タバコを吸いながら対局するようになった迫をみて、周囲が「三段リーグがおかしくなっている」と頭を抱えるまでが、ひとつの流れで、ここでも、彼らの必死さが笑いを誘う。
こうして、様々なエピソードを経て、辿り着くのが、第1巻のハイライトとも言える、高以良の魂の叫びと言ってもよい独白だろう。
もっとすごい手とか、使ってさ。
すっごい棋譜、残してさ。みんなにすごいって
言われたい。でも、わかったんだよ
好きだからやりたい?
金が必要だからやりたい?
そんなの、甘っちょろいんだよ!オレはただのバカじゃないって、
気づかれたいんだよ。オレは今までの人生がムダじゃなかったって
証明したいんだよ。自分の力、見てもらいたくて、
何が悪いんだ。オレはここにいるって証明したいんだよ!
『或るアホウの一生』第1巻
そして、この独白からの「四段になるのは通過点なんだ。そのためには、どんなダサい形でも、まずプロにならなきゃ」という主人公である高以良の気づき。
そこまでのエピソードで、ずれてばかりいた主人公の成長が、ある種の感動を呼ぶ。
ここが序盤のハイライトだ。
仲間たちの苦悩
スポットは、主人公の高以良にばかり当たっているわけではない。
迫は、若手プロも参加する新人王戦で優勝経験がある実力者であるにも関わらず、三段に甘んじている悔しさが全編を通して滲んでいる感じであるし、夏目は祖父が有名なプロ棋士であるが故の悩みを抱えてそうだ。仲間たちにも、いろいろな背景があり、それが話に深みを持たせているのも良い。
牧野の事情は、おそらく、2巻で語られることになるはずだ。
2巻以降への期待
というわけで、ここまで『或るアホウの一生』の魅力について、語ってみたわけだけれど、物語は、まだ、序盤。将棋で言えば、駒組を進めている段階だろう。
第1巻で語られなかった話としては、高以良や夏目と同世代で、既にプロで活躍している佐宗五段の存在もある。
この佐宗に対しては、高以良、夏目、それぞれが因縁を抱えているような描写もあり、これから物語に絡んでくるだろうと予想される。
また、幼少期の高以良瞬に将棋を教えた棋士は何者なのか?など、気になるポイントは多い。
この後の展開が気になる将棋マンガだ。期待をこめて、続巻を待ちたい。
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